6.30.2013

“狂乱の20年代” Jazz Suits編



時代は大量生産や効率化、技術の進歩を通したり、第一次世界大戦を経て、逃げる時にフロックコートがあまりにも機能的では無さすぎたため、洋服の簡素化が進む。

そして、サックスーツ(イギリスではラウンジスーツと呼ばれる)というボックスシルエットのスーツをスリーピースで着用するというスタイルが主流になる。

(ちなみにサックスーツはこれ以前では部屋着だった。要するにパジャマ的な扱いに近い)

このスーツに対するカウンターカルチャーとして生まれたジャズスーツは、非常に立体的で、サックスーツのそれとは全く違う。モッズが着用したスーツに似た様相を醸し出している。

現代でも着るのを躊躇してしまう程、派手なカッティングで非常にイギリス的なスーツである。 当時の黒人のジャズマンはこのようなスーツを着用し、自己をアピールし、社会に反抗し、存在を強めて行った。

そして、それは当時イギリスのオックスフォード大学で流行したオックスフォードバッグズの空気もどこと無く含んでいたりと色々なカルチャーや思想が交わって様々な点が線となる複雑さを感じる時代であるため、この時代は非常に面白いと感じる。

6.27.2013

“狂乱の20年代”②「スーツについて」

ネット上ではあまり、1920年のメンズウェアに触れられる事は少ない。
それは、激動の時代で文化の多様化が甚だしく、様々な流行も生まれ、職業や階級によっても服装は全然違った。
ファッションも文化同様に多様化し、全員がこういう服装をしていたと定義しきれない所があるのだ。

まず20年代に有名なファッションは「Jazz Age」と呼ばれるファッションだ。

現代に置き換えるなら80年後半のMCハマーを模倣したハマ男と呼ばれる方やヒップホップを聞く若者に流行したB-BOYと同じだ。

今風に言うなら恐らくJ-BOYなんて言われるのだろうか。

Jazz Ageの人間が着ていた洋服を映像で観る事が出来る。
この動画を参照して欲しい。

正直、詳しく書けば書くほど文章とは長くなってしまうので、めちゃめちゃ詳しく書いている方がいらっしゃるのでもっと知りたいという方はこちらのブログをご覧頂きたい。
http://the-king.jp/nana_152.htm

それよりもその頃の黒人について個人的には注目してもらいたい。
まず、JAZZとはブルース等と違い、西洋の音楽とアフリカ系アメリカ人のミクスチャーである事が大前提である。
ブラックミュージックの中でも非常に白人寄りの音楽である。

そして、アメリカでは南部において黒人差別が強烈に残っており、1960年の公民権運動からケネディの登場までKKK(クークックスクラン)を中心に普通に黒人が迫害され、権利など無く奴隷として扱われていた。

その南部で生まれたJAZZはラジオの発展と禁酒法により地下へ潜るSPEAKEASYを通して発展を遂げ、ニューヨークやシカゴという都市で爆発。
戦争に借り出され、悶々としていた人間の心を打ちまくる。
白人は黒人の音楽でもう手や足をブルンブルン振りまくり踊りまくった。
そして、黒人も自分達の権利の拡大の手段としての活路をその音楽に見出した。

黒人のスタイルが初めて白人の心を打ち、そこで着ている洋服も影響力を持ち始める。

それが1920年のヒップホップスタイルであるJAZZ SUITSである。
それは、当時スタイルの中心であったサックスーツ(このブログでも後に登場します)とは、全く違うシルエットや雰囲気を持っている。

人と違う物。
個人的な主張や考え、哲学がミックスされたファッション。
社会や体制。自分達の状況への反抗・主張。
「俺はここだ!」という声が見ただけで聞こえてしまうようなファッション。
正にかっこいい条件が揃った初めてのスタイル。それがJ-BOYが着ていたジャズスーツである。



次回、JAZZ SUITSについて。

6.26.2013

“狂乱の20年代” 禁酒法編



前回で触れたが、ギャツビーは酒の密造で富を得たという。
現代ではあまり酒の密造で富を得るというのは、考えられないが、1920年代にはそれが実際に起こりえたのだ。

この頃、女性自体の権利が認められ、それはどんどん強くなって行った。

そして、権利を持った女性達はその象徴として政治活動を始める。

その一つが禁酒法だ。

アルコール中毒の6人に一人は女性という謳い文句とアルコールはアメリカの生産性を低下させるという名目の元で製造や輸入を禁止した。(飲酒は禁止されていない)

活動家の甲斐もあり、その法律は施行までこぎつけるのだが。

アメリカはここから大きく狂い始める。

隣国では簡単に酒が手にはいるため、元々あった内需は全て海外に流れた。
そして、密輸や密造が頻繁に行われ、ギャングの財源となる。(アルカポネetc)

SPEAKEASYという裏酒場が流行し、工業アルコールを使用し、失明などを引き起こす店も出始めた。

しかし、この近年稀に見る悪法は1920s〜1933sまで続くの事になり。
戦争を終えて1920年に20歳になった人間は、そこから33歳まで酒を飲めない時代だったのだ。


このような面でもこの時代に20代であったアメリカ人は「ロストジェネレーション」の名に相応しい世代であろう。

ギャツビー関連のお話でした。

6.24.2013

“狂乱の20年代”①


第一次世界大戦が終わり、他国に武器を売りまくったアメリカは戦争で疲弊したヨーロッパ諸国と違い、お金をたんまり持っていた。
そして、その背景からアメリカでは革新が進み、より現代的で絢爛なカルチャーや服装が生まれる。

アメリカは本格的に大量生産の時代へと取り掛かる。

(余談ではあるが、現在話題の華麗なるギャツビーはこの時代がテーマである。ギャツビーがお酒を密造して金持ちになって殺される物語である。この話をすると長くなるのでまた別で…。)

フランスでは、ココシャネルが登場。(皆殺しの天使と呼ばれていた)

シルエットや装飾も凝った物から簡素化され、既製服もより本格的に。

ラジオ局が建設され、そこから流れる音楽は…ジャズ。現代でいうロックやクラブミュージックのような立ち位置で若者は聞き入った。

戦争による不安や我慢・鬱憤を一気に放出するかのように消費が進み、若者は激しいダンスで夜な夜な踊り狂った。
派手に…そして、戦争で見直された無駄を省きより色々な物が実用的に向かった。

アーネスト=ヘミングウェイやスコット=フィッツジェラルド。
日本では東条英機や芥川龍之介。

蒋介石や毛沢東。

チャールズチャップリンやベイブルースなど。

様々な人物が狂乱の20年代を駆け抜けていく。
そして、20代の人間は戦争に青春時代をめちゃくちゃにされた事から「迷子世代」

つまり、ロストジェネレーションと呼ばれていくことになる。

this video is"Jazz Age"

6.18.2013

Beau Brummell(ボーブランメル)


メンズファッションは、一人の男の超個人的嗜好から築き上げられたのです。
彼は何をしたか。
簡単に言えば装飾などで足し算ばかりのファッション界に引き算を持ち込んだ方です。

この画像を見てどんな印象を抱きますか?
外でこのような格好をもしあなたがしていれば?歪(いびつ)ですね。
このファッションを歪だという内面的な考え方。
それこそが彼が作りあげた新しい概念であったのです。
そして、我々のファッション感には、未だその考え方が生き続けているのです。

上記のような階級の違いを装飾や優美さに求めていた18世紀のファッションに対して『街を歩いていて、人からあまりじろじろと見られているときは、君の服装は凝りすぎているのだ』という言葉を残しています。

彼の特徴としては、身だしなみに2時間もかけていたそうです。
靴の裏まで磨き上げ、そして気に入るまでネックチーフを巻き直し続けたそうです。

作法や礼儀などの内面的な所に重きを置き、哲学的側面を洋服に初めに与えた方です。

「ブランメルの人気の秘密は、素っ気ない口調、冷静で人を見下げたような態度と大胆な毒舌にあると考えられる。その容赦ない毒舌で彼は最大の保護者を失い、沈着なポーカーフェイスぶり。全くの都会人で、服装が乱れるという理由でスポーツは軽蔑していたといわれている。(wikipediaより抜粋)」

当時は、その人間性も多くの人々の心を打ったようです。

男性がまず見習うべき方であり、その考え方や作法を熟知した上で現代の洋服に対してもアプローチしていく事は必ず必要な事ではないかと自身感じていて、最初に取り上げるなら氏であろうと思い、綴りました。

ちなみに、「ボー」とはお洒落やカッコいいという意味です。

つまりいつも「お洒落だぜブランメル!」と言われていた訳で。
自分もそうなりたいと心から感じます。

しかし、彼はこのような言葉も残しています。

人からお洒落と思われているうちは、まだまだお洒落ではない

照れ隠しなのか、はたまた真意なのか。
それは、今はもはやわかりません。